中学時代 その⑥ 頑張るということ(2)[1年生]

一生懸命勉強するようになった子リスは、ある程度、「自信」というものを身につけたように見えました。ついでに、自分で勉強の計画を立てたり(何しろ「計画を立てる」はお手の物)、それをこなすことに喜びを見出すことも覚え、これまでよく頑張って来たと思います。

その一方で(というか、もしかするとその副産物なのかもしれませんが)、ちょっと自分に厳しすぎるように見えることがあります。根本的なところで、自分に対しての自信というか、安心感がまだ持てていないのだろうと思います。その性格は場面によって、良くも悪くも出ているのだろうと思いますが・・・今になって、子リスを見ながらふと考えることがあるのです。

もしあの時、よかったね、上等、上等、と言っていたらどうなんだろう?
上を目指すことなんか焚きつけずに、そのまま受け入れたほうがよかったんだろうか?
そうしたら、もっと穏やかに自己受容ができるように導くことができたのかもしれないなあ…
子リス自身は、「これぐらいの順位がとれたなんて、結構よかったなあ」と、本気で思っていたわけですから。

子供の人格形成の過程で、唯一影響を与えるのが親の言動だなんて、そんなバカなことはないと思うけど、それでも親として考えてしまうのが、

あそこで頑張らせてしまったことで、「このままじゃボクはだめなんだ」というメッセージを与えてしまったのではないか、ということです。

まあでも…と、また考え直してもみます。
実際頑張ることを選んだのは本人だしね。昔に戻れるわけでなし。
あの時は、子リスの様子を見て、「このノラクラした態度をどうにかしなければ!」という気持ちに駆られて、精いっぱいの判断をしたのだから、仕方ないか。
後はもう…頑張って人生進んで行ってくれ!と祈ることしかできません。

私は、自分の中に眠る力があるのなら、それを試してみたっていいじゃないか。生まれたからには、一生懸命やってみるのもいいんじゃないか。
と思っていますが、それは誰でもそうあるべきだと考えているわけではなく、自分がそう生きたいと思っているだけ。
子リスがどう生きていくかは自分で決めることですが、これまでに頑張ったことは誇りに思いながら、生きる支えにして欲しいと願っています。

でも、子リスに是非分かって欲しいことは…
子リスという人間の価値は、頑張ったことのリストで出来ているわけではないんだよ。ということです。

好きなことを思うままにやっている姿、楽しいことをどんどん考えて、周りを笑わせてくれるところ、周りのことに敏感なところ。とりあえず「いいね」と言ってくれるところ。日常の中にちりばめられた小さな面白さに気付くところ。いい笑顔。
子リスが、“頑張らずに”やっていることこそが、子リスの魅力。全部が子リスなのです。
勿論、頑張る力、やりたいことに近づくために工夫する能力、それも子リスの一部。
とにかく全部まとめて、私と夫と、ちびリスにとってのタカラモノ。更に、そう思ってくれる人は世の中にも沢山いる筈です。

頑張らずにやっていることこそ、私達が愛しているもの。
頑張ってやったことは、私達が誇りに思うもの。

分かってくれるかなあ…。

 

オマケ: 
ところで、中学1年の最後の期末テストでも、注意散漫により、“許しがたいミス”
をやらかした子リス。真剣味が足りない!と、再び体感?時間の説教があったことは言うまでもありません。しかし、幸いそれが“ぶっ飛ばした”(実際は勿論ぶっ飛ばしてなんかいません!)最後となりました。

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