1年生 その㉝ 私のこと。

 3月5日にいただいたコメントを読ませていただいて、私自身のことを少しだけ書いておきたいと思いました。コメントの中にあった、「(お母様が)いっぱいいっぱいだった」という言葉が、私にも当てはまることだったからです。
 子リスが小学校に上がる前の年からの2~3年間は特に、我が家に本当にいろいろなことがあった時期でした。あまりにも次から次へと問題が起こって、私は精神的にも体力的にも、かなり追い込まれた状態でした。何が現実で何が非現実なのかの境がはっきりしなくなり、自分という存在が、自然にふっと消えてしまっても不思議ではないような、そんな感覚に時々襲われれながら、何とか日々を過ごしていました。そんな中で、子リスが「場面緘黙症」であるとわかった時は、確かに大きなショックを受けましたが、同時に「ああ、そういうことだったんだ」とどこか腑に落ちた思いがあり、それならばそれなりに、必要な対策を立てて取り組んで行こう、と覚悟が出来て、むしろすっきりしたことを覚えています。当時“もや”の中にいた私にとって、唯一はっきりと見えた事実だったのかもしれません。子リスが今助けを必要としているということ、そして、私自身が何者なのかは今はわからないけれど、この子の問題に取り組むべきなのは私である、ということがです。(夫は当時体調を崩していたので、あまり負担をかけられない状態でした)
あの頃、子リスの問題に関わる時だけが、現実の世界にいる私であるような気さえしていました。

 ブログを始めたのは、そんな時期の真っただ中でした。ただし、ブログを書くのは気持ちが落ち着いている時ですから、文章には、あれこれ整理した後の考えや心の状態が表れます。ですから、読んで下さる方には、私がいろいろな問題に、次々と冷静に対処してきたように思われるかも知れません。でも実際はそんなことはなくて…泣いたり、焦ったり、怒ったり、自分の問題を自分の中で処理しきれず子どもに八つ当たりしてみたり…とても偉そうなことは言えないような心の状態であった日が数え切れません。決して謙遜ではなく、母親として至らなかったと思うことばかりです。

 それでも!(ここからが大事です…)それでも何とか諦めずに日々過ごして行くうちに、周りの状況は少しずつ変わり、子リスは成長し、そして私も、苦しいままでいる筈がなく、少しずつ、少しずつ、(障害物競争の網くぐりのように…)いろいろなものから解き放たれて行き、気が付けば、だいぶ新しい自分達になっているような…そんな感じです。
 ブログを休んでいた6年間は、そのもがき苦しみの時間だったのですが、その間にして来た、「これはやってよかった」ということも「これはまずかった。子リスに謝りたい…」ということも、やはり記録しておきたいと、子リスの中学校入学を機に考えました。そんな私達の歩みの中に、何か少しでも、同じことで悩んでいらっしゃる方の参考になることがあれば、私にとってこんなに嬉しいことはありません。

2 COMMENTS

まゆきじ

おかあさんリスさん、本当にご苦労をされましたね。

次から次へと問題が起こり、精神的にも体力的にも
追い込まれた状態になり、
何が現実で何が非現実なのかの境が
はっきりしなくなった時期があったとのこと。

まさしく、私も同じような感覚を以前は持っていました。

おかあさんリスさんのおっしゃる通り、文章にするときには、
整理した後の考え、そして、心の状態が表れてくると思います。

私も15年以上前のその当時は、夜中になると1人で泣き、焦り、
問題を抱え込み…
とてもとても、「良き母」とはほど遠い状態でした。

そのときに感じたことを書き、文章にしたためながら、
何とか自分自身を保っていたように思います。
時間を置くことで、外側から自分自身を
見つめていたのかもしれません。

「お母さんは家の太陽であれ」という言葉を思い出し、
この子が笑顔でいてくれれば、この子を守ることができれば、
あとは何でもいいという、半ばやけくそ状態、開き直り、
覚悟を持ったときから、薄紙をはぐように、
いろいろな物事に対峙できてきたのでは…と思っています。

まだまだ道半ばですが、おかあさんリスさんの文章から
勇気と力をいただいています。感謝しています。

長文で申し訳ありません。

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おかあさんリス

まゆきじさんへ
まゆきじさんも、大変な思いをされていた時期があったのですね。
内容は違っていて、しかもお互い過去のこととはいえ、とても心強く感じます。

「お母さんは家の太陽であれ」という言葉、子リスが幼稚園の時に、園長先生がおっしゃったことがあったことを思い出しました。
まゆきじさんの、「この子が笑顔でいてくれれば、この子を守ることができれば、あとは何でも…」という覚悟は、母親の究極の気持ちではないかと思います。それと、薄紙をはぐように…ということも、とても共感しました。
本当に、母親が明るい気持ちであれば、それだけで子どもは安心してそこにいるものだと、今思います。勿論、毎日24時間365日ニコニコ明るく、なんて出来ませんが、基本的に心が落ち着いていること、というより、自分がそのいい状態でいる方法を知っていることが、子どもにとっても自分にとっても、周りの誰にとっても大切だと、実感しています。それにしても問題に押し潰されそうだった当時の私は、家の太陽どころか、真っ黒な雨雲のようだったかも…せっかく晴れてる子どもにも雨を降りかけたりしていたかも…と恥じ入る私です。

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