今日は木曜日で、子リスが放課後A先生と過ごす日でした。
いつものように、2時半頃教室に迎えに行くと、誰もいません。あれ?と辺りを見回したら、校庭からA先生が手を振っています。子リスは先生と鉄棒をしていました。
私がそばに行くと、「じゃ、練習の成果をお母さんに見せるか。」ということになって、
子リスは黙って何種類かの鉄棒を私にやって見せてくれました。
子リスが「お布団干し」というのをやった後、そのまま鉄棒にお腹で乗ったまま、
膝を抱えて丸くなりました。
A先生:「あれ?それ何て言うんだっけ?ラッコ?」
子リスは黙って地面に「だるま」と書きました。
A先生:「あ、『だるま』か。」
次は逆上がり。「子リス、逆上がりやってみようよ。もう少しで出来そうなんだから。」と先生に言われて、子リスは逆上がりに挑戦しましたが、本当にあとちょっとというところで上がりきれませんでした。
私:「ホントだ!もうちょっとじゃない!」
子リス:(小さい声で)「????上がればいいの。」
私:「何が上がればいいの?」
子リス:(小さいけれど聞き取れる声で)「足がたかーく上がればいいの。」
私:「あ、そうかあ。」
そして子リスは向こうの方へ走って行きました。そのスキに
私:「先生、喋りましたね。」
A先生:「今のはわかって喋ってますね。」
一度声を出したら大丈夫と思ったのか、子リスは戻って来て、「ママ、今日も自転車の練習するの?」とか、「公園で鉄棒したい」などと、私に話し始めたのです。まだ弱々しい声ではありましたが、2週間前の様な「うっかり喋っちゃった」ではなくて、完全に、自分の声がA先生に聞こえていることをわかって話していました。
少しずつ、気持ちがほぐれて来ているように思います。
学校で場面緘黙症の子どもの声を最初に聞くのは誰か?という時、一般に担任の先生はその順番の最後であることが多い、と言われているようですが、必ずしもそうではないことがわかりました。
今日先生とも話したのですが、先生との関係によるのだと思います。それに、子リス本人が、お話してみたい人は?の問いに迷わず「A先生」と答えていたのですから。
まさにスモール・ステップですが、一つ一つ出来ることが増えて行くのは、本当に嬉しいことです。
凄いですね、子リス君。
先生に聞こえているのを承知の上なのですから
凄いことだと思います♪
お母さんリスさんも嬉しいですね(*^o^*)
なんだか私も嬉しいです。
順番では担任の先生が最後って言われているんですか?
うちの息子も今、話したい人は担任の先生って言っています。
てちてちママさん、ありがとうございます!
担任の先生が最後、というのは、Helping Your Child with Selective Mutismにも書いてあって、最初それを読んだ時は、「子リスは先生を慕っているのに、『先生』という立場の人だから話にくいという心理があって難しいのかなあ」と思っていました。
でも、あたりまえのことだけれど、やっぱり先生との関係次第なんですね。A先生は、とても自然に子リスに接して下さるので、子リスは段々気持ちがほぐれてきたのだと思います。
てちてちママさんの息子さんの、今の担任の先生も、息子さんのことを理解してくださる先生なんですよね。「学校」という場面に対して恐怖がある彼らにとって、やはり担任の先生を頼りに出来るかどうかは大きいですね。
こんにちは、おかあさんリスさん。
子りすちゃん、少しずつほぐれていってますね!
体を動かす遊びは緊張をほぐすのにいいですね。
ほんと、鉄棒なんてぐるっと世界が反対になります!
Helping本では担任が最後と書いてありますが、
欧米と日本では、先生との距離感がかなり違うからかなと思います。
日本の先生は、それこそ朝の立ち当番から、連絡ノート、家庭訪問、生活指導、地域活動、場合によっては放課後クラブの指導までされますが、
欧米では「授業中に授業をするのが先生」で、
他のことは、警備員やSCや地域ボランティアなど他のスタッフがするようですよ。だから、Helping本では担任の先生が一番最後なのかな?と勝手に思ってます。
けいこさんへ
なるほど…。欧米と日本の「担任の先生」はそれほど違うんですね。確かに日本の小学校の先生は、生徒の学習面、生活面、そしてそれぞれの子どもが抱える問題の深いところまで関わることが多いと思います。そうなると余計に、先生の姿勢が持つ影響力は大きいですね。
A先生には本当に感謝しています。
この頃子リスは、鉄棒・自転車と、だいぶ体を動かす遊びをするようになりました。基本的にはまだ、家の中であれこれ作ったり書いたりするのが好きですが、それでも自分から「今日は外で遊びたい」と言うことも増えてきて、ホッとしているところです。