親である私にとって、子リスの一年生時代は、驚いて、ショックを受けて、必死に探して考えて…とにかく頭がいっぱいのうちに過ぎていきました。
学年が終わる時、A先生に最後の面談を持っていただき、一年間の感謝を伝えて来ました。先生は一年間、「子リス君のがんばり日記」という記録をつけて下さりながら、本当に心を砕いて子リスを見守り、適切な形で励まして下さいました。緘黙症のガイドラインで、”Conversational Visits”(=親や兄弟などが学校を訪れ、リラックスした雰囲気を作って、発話の起こりやすい環境に子どもをおいてみる試み)が奨励されているとはいえ、毎週放課後に子リスのために時間をとって欲しいなどと、随分図々しいお願いをしたものだと、自分に呆れるとともに、先生には大きな負担ではなかったかと、今更ながら気になることもあります。
でも、その「先生との時間」をはじめ、日常の子リスとの関わりの中で、先生は子リスに、「話せなければ別な方法でもいい、君とコミュニケーションがとりたい」 というメッセージを伝え続けて下さったように思います。そしてそれは十分に子リスに伝わり、一年で、「先生や学校、それからほとんどの友達は、基本的にボクの味方」という感覚を持つことができたと思います。
子リスは、今でもA先生のことが忘れられないと言っています。
>驚いて、ショックを受けて、必死に探して考えて…
お気持ち、痛いほどお察しいたします。
娘も、小学校1年生のときに
お世話になった担任の先生が
共に泣いて、笑ってくださった方でした。
先生が代わると、環境も変わる。
小学校、中学校、高校で、
前に進んだり、後退したり…
期待したり、空振りで終わったり…
今もその繰り返しですが、
娘の成長、喜怒哀楽を、
心と体で感じながら、
日々できることをやっていこうと
思っています。
おかあさんリスさんの
子リス君に対する愛情が伝わります。
拝読していると、元気が出ます。
ありがとうございます。
私も、見習いたい!