2年生時代 その⑧ “こだわり”

 例えば、階段を下りる時に手を繋がないで下りたかったのに、お母さんが手をつないでしまった。だからもう一回上まで行って、今度は手を繋がないで下りる、つまり「やり直し」をする。…というようなことは、おそらく子どもの自我が目覚める頃の“成長過程”として普通に見られることなのではないかと思います。子リスもよくこの「やり直し」をしたものでした。
 その延長線上にあるものだったのかどうか、今もよくはわからないのですが、物心つく頃からの子リスは、随分といろいろなことにこだわるようになっていきました。子リスを育てる中で「手が焼ける」要因の第一はまさにその「こだわり」でした。

 基本的に、「自分がこうすると決めたことをしないと気が済まない。それが出来ないと、泣く・怒る・騒ぐ」という特性(?)です。 2年生の時が、そのピークだったように思います。朝、学校へ行く支度が済んだ後、どういうわけか、ポケモンの指人形を床の上にきれいに並べてからでないと出掛けられない、という癖がありました。ポケモン達の並ぶ順番もその日によって決まっていて、それを真剣に考えながら、50~60個あった人形を丁寧に並べて行きます。
 それに一体どういう意味があるのか、なぜ忙しい朝にそれをしなければならないのか、全くわかりませんでしたが、とにかく子リスは、それをすると決めていたのです。でも人形を並べ終えれば、よし、じゃあ行って来ます、という気持ちになれるようだったので、ポケモン並べは朝の支度の一環として…毎日淡々と行われていました。


 大変なのは、一個でも見つからない人形があった時です。「ないよ、ないよ。どうする?」とパニック状態になります。それでも、登校班の集合時間に遅れるわけにはいかないので、半泣きのまま出て行ったりもしましたが、そういう時は、見送った後「大丈夫かな…」とずっと心配だったものでした。

そういえば幼稚園時代にも、朝の支度で必ずやっていたことがいくつかありました。(髪の毛をとかす時に、櫛2本・ブラシ2本を鏡台の上に並べ、それを2本ずつ順番に組み合わせて使う、とか…歯磨きの手順が細かく決まっているとか…)

 この不思議な、不可解なこだわりに、周りはいろいろと煩わされ、心配もしました。今思うと、「よくまああそんなことにつきあったねえ」と自分でも呆れます。でもなぜか、子リスがこだわってやっていることは、(出来る範囲で)やらせておきたいような…無理矢理やめさせてはいけないような気がしたのです。まあ、そこで「そんなことしなくていいの!」と言ったところで聞く子リスではないことはわかっているので(それまでにこちらが慣らされたので)、不毛な争いはせず、平和に過ごしたかった、というのも、ありますが…。

 それでもやっぱり不安はあったので、当時保健センターでお世話になっていたUさんに話してみました。Uさんは、「こどものこだわりは不安の表れ。こだわることが強くなったり、多くなったりしたときは、不安が大きい時」とおっしゃいました。それを聞いた時、「なるほど!」と、心底納得したことを覚えています。ではこのままでいいのでしょうか…?と相談すると、「本人がやりたいことはやらせておく。でも、時間を守る、とか、誰かの迷惑にならない、とか、そういうルールも一緒に教えることが大事。」とアドバイスをいただきました。それで大手をふって(?)、子リスには「こだわっていること」をできる範囲でやらせることにしたのでしたが、それは私にとってもラクなことでもありました。(なんでこんなことしてるんだろう?ホントに大丈夫なのか?という不安はいつでもありましたが…)

 ところで当時、どうしてそんなに決めたことにこだわり、そしてそれが出来ないと騒ぐのかがあまりにも不思議だったので、一度子リスに聞いてみたことがあります。
「それが出来ないと、どうなの?どう思うの?」すると、
「なんかねえ…怖いの。」
という答えでした。
 怖いんだ…。Uさんの言葉も思い出され、やっぱり、と納得すると共に、この子の不安はどうしたら和らげられるのだろうと、焦りと、自分の無力さを感じたのを覚えています。

 それでも、永遠に続くかと思われた子リスの「ポケモン並べ」は、いつの間にか朝の決まりごとから消えていました。おそらく、時間がなかったり人形がみつからなかったりして、きちんと並べることが出来なかった、ということが何度かあるうちに、さすがの子リスも疲れてきたのだと思います。決めたことが出来なくて不安で、その時は泣きながら家を出たのだけれど、それでも一日、学校で過ごして帰って来られた。そういう、「それでも大丈夫」の経験を積んだ、ということも言えると思います。

 子リスに限らず、“こだわり”に、“面倒臭さ”が勝つことで、いわゆる普通の大人になっていく部分というのはあるような気がします。そしてその中で、自分にとって本当に大事な、意味のある“こだわり”を持ち続けられたらそれは本当に素敵なことだとも、思います。
 
ちなみに現在の子リスは、あのこだわりは一体なんだったんだ!!??という程の大雑把さを見せ、私が「もう少し気にしなさいよ」と注意することもしばしば。ただ、「今度はこれをやる」と、独自の企画をするのが好きであることは変わりなく、今も、忙しい筈の受験勉強の合間を見つけては(2014年当時)、幾つかの“こだわり”のプロジェクトに取り組んでいます。それはレゴブロックを使ってのパラパラ漫画風の動画制作であったり、オリジナルカレンダーを作ることであったり、大好きな相撲の資料編集であったりと、本当に心の向くままにあれこれやっています。そして私にとっては、その姿こそが「子リス」そのものなのです。

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