4年生時代 その⑨ その頃子リスは…

 O先生にも、「赤ちゃん」のことを近々お話ししておこうと思っていましたが、私の入院によって、予定よりも早く報告することになりました。

6月の連絡帳より:
(夫)「妻のつわりがひどくなり、入院いたしました。入院中の連絡は私(父)にお願いします。日中は子リスの祖母が手伝いに来てくれることになっておりますので、特に心配はありませんが、よろしくお願いいたします。」

(O先生)「連絡帳を読んで思わず『うわ!』と声を出してしましました。おめでとうございます。うれしいですね。うれしいニュースです。体調が悪いと聞き、心配だったのですが、つわりだったのですね。本当におめでとうございます。子リス君に、『お母さんのおなかに赤ちゃんいるの?』と聞いたら、にっこり『うん』とうなずいていました。どうぞお大事になさってください。」

 入院中、私は毎晩、子リスが寝る頃に「おやすみメール」を送っていました。子リスからも「おやすみなさい」のメールが届きましたが、それにはいつも、ひよこ🐣の絵文字が添えられていました。時には、夫の母が作ってくれた豪華な夕飯の写真が送られてきて、「今日は普段食べないようなものばっかりでした」なんて書いてあったりしました。なーんだ、私がいなくても平気そう。結構楽しそうにやってるのね、と思っていましたが、ある日、家に泊りに来てくれた母が翌日病院に立ち寄って、こんなことを話してくれました。
「子リス君がね、ベッドに入ってから、『ママ、退院したらまたボクと一緒に寝てくれるかな。』って言ってたよ。」

 子リスは生まれてからずっと私の隣で寝ていました。でもつわりがひどくなってからは、早朝、夜中を問わず「馴染みの空間」に行かなければならなかったので、私はリビングに布団を敷いて、一人で寝ていました。

 兄弟が出来ることは子リスにとって最大級の喜びだったと思いますが、もうすぐお兄ちゃんになるからと言って、急に「ママがいなくても平気」になるわけはなくて…きっと寂しい思いをさせていたのでしょう。🐣の絵文字は、そんな気持ちの表れなのかな…と思って、ちょっと胸が痛くなりました。入院中だけでなく、つわりが最も酷かった数週間は、子リスのことを気に掛ける余裕が殆どありませんでしたから、随分と心細い思いをしていたのかもしれません。

 約2週間、水分と栄養分の点滴をしてもらって、だいぶマトモな状態になった私は、無事退院しました。ただ、つわりの症状そのものは、ちびリスがこの世に出て来る瞬間まで続いたのでした…💦

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