4年生時代 その㉗ 学級通信

さて、そろそろ子リスの学校生活に戻ります。

妹が生まれたことを連絡帳で報告すると、O先生から「🎊祝 おめでとう」のくす玉のスタンプとともに、こんなメッセージが書かれていました。

「おめでとうございます。持久走大会でお見掛けしたばかりなのに、もう出産されてびっくり。女の子、よかったですね。(うちも上が男で下が女です。)子リス君の口で、みんなに報告してもらうつもりです。となりの席の子に「一人っ子?」ち聞かれて、「妹がいる」と答えていたそうです。お母様もゆっくり休んで、のんびり過ごして(無理かな?)下さい。近々、学級通信にも載せさせてくださいね。」

実はこの年、子リスのクラスはベビーラッシュで、弟、妹が生まれたという子が、子リスを含めて3人もいました。そしてその度に、学級通信には「〇〇さんに、弟 / 妹が生まれました!」というニュースが載りました。

ところで、個人情報保護法が全面施行となったのは2005年、つまり子リスが小学校に入学する前年のことでした。
当時、学校の名札を付けて外を歩かない、とか、運動会の朝は名前のゼッケンの付いた体操着の上から必ず上着を羽織って登校するように、などの新しい学校のきまりに、昔の時代(?)を生きた私達は、随分窮屈な、寂しい世の中になったものだと嘆息したものでした。そういうやり方が定着した今でも、同じ学校の子供達や保護者同士の顔が見えにくいこの時代(それなのに、買ったことも無い通信販売の会社から電話が来るというヘンな時代)は寂しく思われます。

昔は…私が小学生だった1970年代は、毎年もらう学級名簿には、住所、電話番号から保護者の名前、職業(働いているお母さんは少なかったので、基本的には父親の職業)まで書いてあったものです。今そんなことをしたら、それこそ個人情報の問題で大騒ぎになりそうですが、当時はそれが当たり前でした。名簿が、人知れず傷つく要因になっていた子供も、もしかしたらいたのかもしれませんが、その一方で、皆が皆のことを知っているという安心感、地域としての一体感を作る、小さな構成要素になっていたとも思われます。
(そう言えば私も、一時期父が職を失ったことがあり、その時の担任の先生に、「お父さんの職業欄、何て書けばいいかな…」と、とても済まなそうに聞かれたことがありました。結局、「自由業」となりましたが、「自由業」って何?と首を捻りつつ、ちょっと胸も痛みつつ、でもそれ以上は何も思わず過ごしたことを覚えています。)

話が逸れましたが…考えてみればO先生は、「個人情報」の流れに逆行していたところがあったと言えるでしょう。

参観日の後の懇談会などでも、子供達の名前を挙げながら、いろいろな楽しいエピソードを話して下さり、更にそのお母さんから話を聞いたりする時間を必ず設けていました。それによって私達は、クラスの子供達を身近に感じることができたと思っています。

学級通信に名前が載ることにも、抵抗のある人もいたと聞きます。でも私は、〇〇君や〇〇ちゃんがどんな子で、どんなことが得意で、どんな風に面白い子で…ということが伝わるのをとても楽しんでいました。

あの頃…色々な考えの人がいるのを承知の上で、これが良い(正しい、ではない)と信じて何かをやっていくことが、段々難しくなって来ているのだろうなあ、と、感じ始めた時期でした。いわゆるポリティカリー・コレクトネスに配慮しすぎて味気ない世の中になっていかないといいなあ、と、子供達が身を置く学校生活の中でも感じることが増えていっていました。

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