4年生時代 その㉚ 子リスの声 (3) 次のミッション

「隣の人、又は前の人に聞こえるように話す」の次のミッションは、
前に出る機会がある時に「最前列の人に聞こえるように声を出すこと」でした。

このミッションは、先生が連絡帳で予告した通り、妹が生まれたことをみんなに報告する、という形で行われました。
12月7日のことです。

子リスは教室の前に行き、
「きのう、妹がうまれました。名前は『〇〇か』です。」

と、黒板にちびリスの名前を書いて、報告したそうです。

この様子は、私の退院後に先生から教えてもらいました。
たまたま子リスのクラスには、ちびリスと同じ「〇〇か」ちゃんという名前の女の子がいて、その子の周りを中心に「へ―!“〇〇か“ちゃんだって!」と盛り上がったそうです。意外に、子リスの声がどうだったかよりも、子リスんち、赤ちゃんが生まれたんだって!ということや、名前が“〇〇か“ちゃんなんだって!ということの方に、子供達の関心は向いていたようです。

また、子リスに日直の順番が回って来た時には、仕事の一つである「朝の会・帰りの会の司会」でも声を出すように、という指導が始まっていました。(1年生から今まではずっと、パートナーの子だけが喋っていて、子リスはそばに立って“もじもじ“していたのです)。

段階を追っての「声を出すチャレンジ」が続いていた頃、先生からは頻繁に電話をいただいていました。
「こんな風にしてみてもいいですか?」
ということもあり、
「今日はこんなことをさせてみました。大丈夫だったでしょうか」
という報告のこともありました。

時には、先生の「前に出て発表してみて」という指示に対して、子リスが首を横に振ってどうしてもやらない(できない)こともあったそうです。そんな時は先生が折れることもあり、折れないこともあったようで、ある日には、
「『お兄ちゃんになるんでしょ!』って言っちゃいました。大丈夫だったでしょうか」
という電話を頂きました。

そんなことを、子リス本人が私に報告するはずはなく(子供のプライドというものでしょう)ので、私が知ったのはいつも先生からの電話でした。

学校に行って、大人しく座っていて、楽しいことがあったら微笑んで、発表する時は書いたりジェスチャーなどで伝えて…それでよかった学校生活が、そうは行かなくなったわけです。自分には、声を出して喋るという、新しいミッションが追加され、しかも皆がそれを注目しているのです。
4年生になって感じ始めた、「喋らないって、恥ずかしいかもしれない…」という自覚。何とかしたいとは思うけど、いざ喋ろうとしても、何しろこの5年近くというもの、皆の前で出したことのない声はそうカンタンには出てくるものではありません。そこに、それまでにはなかった、ストレートな「声を出してみよう」という先生の働きかけ。子リスにとってはかなりの負担だったこともあったのでしょう。
二学期後半からは、また欠席が増えていました。

ちびリスが生まれた報告をみんなの前でした次の日の連絡帳にはこうあります。

(私はまだ入院中だったので、夫の字)
「疲れが出た様で微熱があり、頭痛もするようなので、今日は休ませます。」

そして先生から。
「あ、昨日は頑張りすぎてしまったかしら。(頑張らせ過ぎ??)
明日は元気に登校して下さい。理科の実験があります。」

間違いなく、頑張った後の発熱だったと思います。
タイヘンだったんだろうなあ。意識の上でも、無意識にも、です。
実際、この頃の記憶があまりはっきりしていない、と子リスは言います。
当時の子リスの、心の中に起こっていたざわめきや重さを想像すると、しばし沈思してしまいます。

でも…
大変だっただろうとは思います。今ほどでないにしろ、当時だって、大丈夫かな、折れてしまわないかな、とは思っていた筈。でも、あの頃は間違いなく、子リスにとって、そして先生にとっても私にとっても、正念場でした。
正念場。そこには、後には引けない状態を慎重に進んでいく、そんなイメージがありました。

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