参観日の後、学校から帰って来た子リスには、
「日直ご苦労様。しっかりやってたね。」と声を掛けましたが、声が聞こえた・聞こえなかったということに関しては何も言いませんでした。日直の仕事をちゃんと(一応でも…💦)やるということが大事なのであって、私達の関心は声の大きさにはないのだというメッセージは、これまで同様、これからも送り続けなければならないと固く決めていたからです。(実際は、皆に聞こえる声で話せるようになってほしいと、切実に思っていたとしても、です💦)
喋れないことを出来るだけ意識させない、という方針でこの4年間やって来ました。
声が出ているかどうかは二の次。
全ての要素を「喋れないけど」というフィルターを通して見る、ということにならないように。
出来るだけ無垢な気持ちで学校生活そのものを経験して、総合的に成長して欲しい。
喋れないというレッテルを、誰よりも自分で自分に貼り付けてしまわないで欲しい。
簡単には行かないことも沢山あり、自分に失望してしまうような経験もしながら、それでも子リスは、先生や友達に救われてここまでやって来ました。
そして、ようやく小さな声が出るようになった今、今度は、「声が出ていることを意識させない」ことが大事だと思いました…子リスの場合は、です。
ここで、「やっと喋れるようになったね!もう大丈夫だね!」と親が派手に喜んであげることが、子供の後押しをする場合もあるでしょう。きっと、そういうタイプの子供もいると思います。でも子リスの場合は、あくまでも静かに、滑らかに、わき道から本道に合流してそのまま走って行くような流れを大事にしたいと思っていました。
そうは言っても、学校に行けば子供達が「あ、聞こえた!」と大騒ぎをしているわけで、“あくまでも静かに…”とばかりは行かないだろうとは思いましたが、それはもう仕方がありません。同級生達にしてみれば、4年間聞くことのなかった子リスの声がようやく聞こえて来たのです。みんな、子リスの声が聞こえて喜んでくれている、その気持ちは子リスにも伝わるだろうと信じて、送り出していました。