ところで、年度はじめの恒例である「担任の先生との面談」は、実は今回、すでに済んでいました。
4年生が終わった3月に、O先生に時間をとっていただき、それまでのこと、これからのことなどをじっくり話し合う機会があったからです。(その時は、次年度も引き続きO先生が担任になるとは知らなかったのですが)
1年生の時、保健センターのUさんに言われたことがありました。それは、
「大体の目安として、5年生頃までに、万が一、学校生活全般に関して全く進歩が見られないという状態だったら、その時に初めて、積極的な治療ということを考えて行きましょう。それまでは、このまま見守って。ひたすらスモール・ステップを大事にして。」
ということでした。
Uさんの言う“学校生活全般に関する進歩”とは、どれぐらい喋れるようになったか、ということに執着せず、子リスの全人格的な成長を大きく見守り、小さなステップを登ったことを見逃さない、ということを指していました。だから私達は、「子リスが学校でにこにこして過ごせた」、「帰ってから学校の話を沢山するようになった」、「運動会で走った」など、一つ一つの小さなことを喜びながら、小さな階段を上って来ることができました。
そして気が付けば、「目安」の5年生になろうとしていた…というタイミングだったので、O先生に、率直な意見を聞きたいと思いました。つまり、先生から見て、このまま見守ってよいか、それとも、もっと”喋ることが普通になるように“何か特別なことを考えた方がよいと思うか、ということをお聞きしたかったのです。
O先生は、
「いや、立派に進歩して来たと思います。今、大事な時にさしかかったかな、という気がしているので、もっと自信をつけて自分を出して行けるように、頑張って行きましょう」
とおっしゃいました。
学校で声を出すことに関しては、まさに今始まったばかりの子リスでしたが、私も、「待ってました」とばかりにあれこれ働きかけるのはよくないだろうと思っていました。
そして子リス自身の様子はというと、
何とか学校で声が出るようになった状態で4年生を終え、そ5年生という新しい年度を迎えて、「今年からはもう大丈夫なんだ」という切り替えができているように見えました。
人生の中の「区切り」というのは色々あって、子供にとってのそれは年齢や学年、学期だったりするわけですが、それらの「区切り」が持つ意味は、大人が想像する以上に大きいのかもしれません。
「区切りって言ったって、昨日から今日になって急に何かが変わる訳ではないからねえ」なんてヒネたことを言うのは、大人になってからです。(最近は誕生日が恐ろしく、一つ歳をとった事実から目を背けがちな私…)
周りの世界全てが新しく見えるようなフレッシュな気持ちを、大人になっても時々は持ってみたいものだなあ、などと思います。そんな気持ちになるには、新しい区切りに一歩踏み出したんだと自分に言い聞かせ、「そうは言ってもねえ、現実的には何も変わっていないのよね」などという内外からのささやきを跳ね除けて進む勇気が必要。それが出来たら、大人だって、思いがけない力が出せるかも知れません。