1年生時代 その㉛ 「本人に意識させない」ということ

基本方針の第一番目:「話せない」ことを本人になるべく意識させないこと。

 2月17日の日記にも書いた通り、本人に何をどれだけ話せばいいのか…というようなことは、ずっと続いた悩みの一つでした。
緘黙症について勉強し始めて間もなく、緘黙症の子どもは「話さない」のではなく「話せない」のだ、ということ、だから、話すことを強要したり、「話せない状態」を過剰に意識させることは、症状の改善に逆効果である、ということを知りました。だから子リスには、「君は緘黙症なんだって」などということは勿論ですが、「どうして話せないのか」と詰め寄ったり、学校から帰って来た時に、「今日は話せた?」などと聞くことも、一切しないことに決めました。
 でも、参観日や面談で学校に行くと、クラスの子ども達が待ち構えていて、「ねえ~、子リスのお母さん、子リスはなんでしゃべんないの?家でもしゃべらないの?」と聞いて来ますし、直接子リスに「どうしてしゃべらないの?」と聞く子もたくさんいます。中には、「お前、なんでしゃべんないんだよ。」「ほんとは日本人じゃないんだろ」と言ったり、しゃべれよ!と、腕をねじ上げたりするような子もいました。そもそも学校生活を送っていれば、国語でも音楽でも、その他の教科でも、声を出せなければ話にならないような場面は山ほどあって、本人だってイヤでも自分が話せないことを意識せざるをえません。そんな中で、完全に「何もないふり」「お母さんたちは気づいていないよ、というふり」をすることは、まず出来ません。
 それでも、本人が悩みを口にした時以外は、こちらから「学校でどれだけしゃべれるようになったのか」などと聞くことはしませんでした。
 ただし、何かがあった時、本人が「話せないこと」について話して来た時には、一緒に考える姿勢を必死に見せようとしたつもりです。

 このように、本人になるべく意識させたくない、少なくとも、「緘黙症」という名前でくくるようなことは絶対に言わない、と決めたのには、私の友人で、幼稚園の先生をしていたマリーさんの助言があったからです。
彼女が言っていたのは、喘息を患っている子供に大切なことの一つは、「病感(やまいかん)を持たせないことだ」と、言っていた先生がいたという話でした。彼女のお子さんは喘息があり、いろいろと大変な思いをしていらっしゃったので、とても身に染みる言葉でした。「自分が病気(障害)だ」という意識が強いと、それを克服するのがとても大変なことに感じてしまうのだそうです。
だからどんなに出来なくても、周りからお前はおかしいと言われても、レッテルを貼るようなことはしないと決めて、過ごしました。

 ただし、どんな機会に、本人が「緘黙症」という言葉を知り、自分はそれにあてはまると知ってしまうかもしれません。すでにその状態でずっと過ごしているお子さんがいらしたとしても、遅すぎることはないと私は思います。なぜなら、私たちが本人に「気づかれないように」苦心していても、本人に対する周りの特別な目を避けることはできませんでしたし、子リス本人も、「僕って、変だよね」と何度も聞いてきたからです。何をどれぐらい知っていようとも、また、これまでどんなアプローチをしてこようとも、これから、「でもあなたは変じゃない」と言い続けることで、少しずつ病感をはぎ取っていく努力は、きっと報われると思います。

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