5年生時代 その⑥ プロジェクト・子リス

前回の「まとめておきたい」癖も含めて、
子リスはいつも何らかの“プロジェクト”を抱えている子供でした。

学校での時間を終えて家に帰ると、そこは自分の自由に時間を使え、言いたいことも何でも、いくらでも言えるホームグラウンドです。子リスは、それこそ息を吹き返したように生き生きと活動をはじめる…というのは何かの動物の生態のようですが、本当に帰宅後の子リスは、嬉しそうに、真剣に、自分なりの様々なプロジェクトに取り組んでいるのでした。

帰って来た後に友達と遊びに行くことが少なかった低学年の頃は勿論ですが、公園などに出かける様になった3年生以降も、自分の時間の大切さは変わらないようでした。

どんなプロジェクトがあったか思い出してみると…

その① 落語。
1年生の頃から落語が好きになり、市のホールやおばあちゃんの家の近くの区民会館などに寄席があれば見に行っていましたし、新宿の末廣亭に出かけたこともありました。
柳家花緑さんの「ちりとてちん」「初天神」などをDVDで何度も見て覚え、空で言えるようになった後は、寄席の一日分の演目を考えて「めくり」を作り、実際にやってみる、というプロジェクトをやり遂げました。(これは真剣にやり過ぎて、翌日自家中毒を起こしました…。)

その② 生き物。
図鑑に載っている動物や魚を、写真を見て全部正式な名前が言えるようにする、というプロジェクト。毎晩寝る前にやっていたのに私も付き合ったおかげで、私もだいぶ沢山の動物や魚の名前を覚えました。

その③ ポケモン。
大好きなポケモンの、双六式のボードゲームを作るというプロジェクト。大きなカレンダーの裏をボードにして、コマやサイコロは勿論、「遊び方」の詳しいパンフレットも作り、一式を入れた大きな箱の側面には、「入っているもの」のリストが書いてあるという、かなり手の込んだものでした。

その④ 車種。
車で出掛けた時は、すれ違う車の車種をメモしておいて、どこの車が多いかを調べる、というプロジェクト。こういう、ミニ企画も時々ありました。

その⑤ 相撲。
1歳11か月の時に、テレビを見て一目惚れした相撲。力士の名前は勿論、行司の名前と声(“はっけよい、のこった”の言い方)の特徴を全て覚えていました。そしてベッドを使って、呼び出し、行司、力士、控えの力士、勝負審判、床山の全ての役割を一人でこなしていました。プロジェクトとしては、幕内、十両、引退した力士の写真ファイルを作り、場所毎に入れ替えをするというものがありました。

(ところで、実は私も父の影響で、子供の頃からお相撲が好きなのですが、行司さんの「はっけよい、のこったのこった」が人によってかなり違うということを、子リスのお陰で初めて知りました。本当に、全然違うんです!

その⑥ レゴのパラパラ動画づくり。
幼稚園からのお友達、N君兄弟がやっていたのを見せてもらったのがきっかけで、子リスもレゴブロックを使ったパラパラ動画を作ることを始めました。
更にそれをDVDに加工して、効果音も入れて、テレビで完成作を見ては悦にいっていたものです。私達から見てもなかなか面白いものが出来ていました。

その⑦ 架空のキャラクター。
これは数ある子リスのプロジェクトの中でも、ダントツで規模が大きく、そしてダントツで“謎”のプロジェクトです…。
架空のキャラクターを約30人(体?匹?)も作り上げ、名前をつけて表にするというものでした。彼らは相撲やボードゲームなどで対戦させられていました。(子リスが一人で何役もやるわけですが。)
このキャラクターの名前が、かなり個性的なのです。丁度、難しい漢字を覚えるのにもはまっていたので、それを当てはめて、何とも不思議な名前を付けていました。

今子リスはその表を眺めながら、
「この名前、何なの?どこから来たの!?」と聞きます。

私:「さあ…私に聞かれましても…」
子リス:「何これ?どういうことを考えていたんだろうね?」
子リスは呆れかえっています。
…それはキミが大人になったということで、当時はまだ夢の中にいたんだよ…。

ああいった“謎の”プロジェクトは、残念ながら今は姿を消したものの、子リスは今でも、時々自分なりのプロジェクトを抱えています。相撲の動画を編集してみたり、難読漢字を覚えてみたり、洋画のセリフを覚えるチャレンジをしたり。

そしてやっぱり、好きなことを一生懸命やることというのは、生きる力そのものだと思わせてくれます。だから、プロジェクトに喜々として取り組んでいる子リスを眺めている時、私は何とも言えない幸福感に浸るのです。

 

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